コロナ疲れの処方箋 仏教的こころの整え方 vol,2

コロナ疲れの処方箋 仏教的こころの整え方 vol,2

コロナ疲れの処方箋 仏教的こころの整え方 vol,2

昨日に引き続き、目下のコロナ禍の不安に対しての仏教的処方箋をご紹介させていただきます。(newspicks)

五感を澄ませ、身体を活性化

では、このような感覚を取り戻すには、何から始めればいいのか。五感を研ぎ澄ませて生活し、身体を活性化させましょう。例えば、パソコンの画面に映る相手の顔と声は、細かい色の情報と音の波で構成されています。これはこれで一つのリアルですが、そこに匂いや手触りなど、視覚や聴覚以外の感覚で受け取るものはありません。これでは、五感が鈍ってしまうのも当然です。もし、自宅の近くに森林があるという人は、人の少ない時間を見計って、自然の中に身を浸し、身体を動かしながら五感を解放してみましょう。
絶対的な孤独の中にありながら、同時にあらゆる命とのつながりの中で生きていることを体感できるからです。こうした経験をすると、気休めとは違ったレベルで、孤独感に変化が起きると思います。
しかし、外出制限下の都市生活では、なかなかそうも行きません。遠くに移動するのはもってのほかです。そこで次にお薦めしたいのは、モニターの画面から目線を外し、窓の外の風景をしっかり見てみることです。街路樹が風に揺れている。雲が流れていく。ふと空を見上げて、「月が綺麗」と感じるような生活を取り戻してみましょう。特に都市生活者は頭の中で生きる部分が大きくなっていて、感覚で物事を味わうという豊かな世界から遠ざかっていたように思います。
五感を使わず、むしろ閉ざして生きてきたとも言えます。感覚の豊かな世界から遠ざかり、頭の中の感覚で生きると、どうなるでしょうか? ほとんどの人が、過去の失敗を後悔したり、将来を憂いたりするようになります。ネガティブな路線で過去と未来をエンドレスに回想して、心ここにあらずの状態になってしまうのです。
現在のようにリモート漬けの毎日になったら、孤独や不安という感情が増幅していくのは当然のことでしょう。そうすると、ウェルビーイング(幸福感・充足感)からは、どんどん遠ざかってしまいます。

掃除は優れたプラクティス

周囲に自然環境が少ないという人に、もう一つお薦めしたいのは、掃除です。掃除という行為は、シンプルで誰でも親しめるものでありながら、瞑想的かつ運動にもなり、ほどよい社交性もあります。
掃除は、「世界に素手で触れる感覚」を取り戻す、とても優れた日常のプラクティスなのです。そういう生活実感から、現代人は離れ過ぎていたと感じています。
コロナ後の世界では、リモートワークで田舎に住みながら田畑を持って自給自足の暮らしをしたり、都会と田舎の二拠点生活で週末は農業をするような人が増えるでしょう。我々はこれまで、便利さだけを求めて、生活のあまりに多くのことをアウトソースしてきました。掃除や畑仕事のような、リアルな生活実感を取り戻す行為を重ねれば、心の安定にも大きく寄与していくはずです。

「Nowhere感覚」が大切に

コロナを乗り越えるあり方は、「Nowhere(どこにも行けない)」という感覚だと考えています。Somewhere(境界のある世界に心を置き、「どこか」に居場所を求める人)は、当然ながら何らかのローカル性を重視しています。アメリカで言えば、ドナルド・トランプ現大統領の熱烈支持層がSomewhereの代表です。
一方、Anywhere(境界のない世界を好み、「どこでも」生きていける人)はリベラル性を重視しており、西海岸や東海岸に住む富裕層はこちらに属するイメージです。
Anywhere感覚を持つ人たちは、2017年のアメリカ大統領選挙でドナルド・トランプが当選した時、「なぜ『メキシコとの国境に壁を作ろう』と主張するような人が大統領に当選したのか」と困惑している様子でした。でも、冷静に考えてみたら、支持する人がたくさんいたから当選したという当たり前の話でした。トランプさんを支持したのは、好調な経済の恩恵を受けていない、所得や教育が比較的高くない地域の人々です。
トランプさん自身は完全にAnywhereの人なのに、Somewhereの人々の心をうまくつかむというやり方で、当選を果たしたのです。
Somewhereの世界には、「ローカル」という壁があり、それを心地よく感じる人にとって素晴らしい世界です。一方、壁のない世界を望むAnywhereの人たちにとっては、非常に息苦しい世界となります。
この「世界を分断するねじれ」をどう解消したらいいのかと考えた時、私はこれからの時代に求められるもう一つのあり方があるのではないかと思いました。それが、Nowhere(どこにも行けない)という感覚です。

究極の「当事者意識」とは

Anywhereにしても、Somewhereにしても、行きたいかかどうかは別として、「どこかに行くべきところがある」というビジョンを内包しています。でも、仏教的に言えば、私たちはこの身体から離れては存在できませんし、時間的にも空間的にも「今、ここ」にしか現実は存在しません。
あらゆる現象は相互に依存しており、つながっていて、自分と他人も切り分けることができません。世界がグローバル経済でつながり、地球規模の危機が国境を超えて共有されている今、皆さんもそのような世界の実相を実感していると思います。だからこそ、もはやどこにも安全な場所はないし、逃げようにも逃げ場所はない。今回のコロナ・ショックは、我々にそう教えてくれています。
地球温暖化の問題も同じです。ただ、気候変動には10年、20年というスパンがあります。一方、新型コロナウイルスは、日を追ってすごい勢いで進行しました。
全人類に対して、否応なく、Nowhere感覚を持つことを強制する機会になったのではないでしょうか。戦乱や飢餓で多くの人が死ぬ世界に生きた鎌倉仏教の開祖たちも、このNowhere感覚で、「自分がやるしかない」という究極の当事者意識を持っていたのだと思います。
これからの世界は、あなたはSomewhereなのかAnywhereなのかと、ごちゃごちゃ議論している余裕がなくなっていくでしょう。
では、そんな逃げ場のないNowhereの時代に、人間が生存していくために必要な戦略とは何でしょうか。
フランスの著名な経済学者で、思想家でもあるジャック・アタリ氏が指摘するように、現代は倫理的にではなく合理的にも、自己が生存する上で「利他主義」が重要になっています。あらゆるものは相依(あいよ)って命を為し、独立して成り立つものは何もありません。仏教では「縁起 / 空」の思想で語られてきたことが、いよいよもって実感されてきました。
私たちは皆、Nowhere(どこにも行けない)の世界を生きている──。そう気付くことが、この世を当事者意識を持ちながら生きていく上で何よりも大事なのです。

まとめ

2回に渡ってコロナショックを乗り越える仏教的処方箋をご紹介させていただきました。これからの時代は、医療テクノロジーの進歩で、150年も生きる人が出てくるかもしれないと言われる一方で、今回の感染拡大のように、誰もが明日死ぬかもしれないという、「命のボラティリティ(変動率)」の高い時代といえます。
このような危機を乗り越え、生を彩り豊かなものにするためには、「平常心」の説明でも述べられているように、「死を意識しながら日々を生きる」という問いを、改めてしっかりと見つめ直して生きていく必要があるのではないでしょうか。